頭の良い人を2種類に分けたら研究のキャッチーな名前がみつかった

 以前、一皿100円の回転寿司屋で、得意げに自分の部下全員を、「頭ののろいやつと行動ののろいやつ」の二種類のみに分類していたおっさんを見たって話を書いた。 俺は、こっちの話を受け取った人が実際傷つくかとかは余り考えない。が、少なくとも、これ言うとこの人傷つくなと意図的に言うことはしない人なので、この手のおっさんは理解できない。まあ、おっさんも傷つかせるつもりじゃなかったのかもしれないけど。

 だから、どうせ二分割するなら良い方で二分割してみたい。うちの仕事場の人は、とにかく頭がいい人が多い。今まで10年間こいつはなんて馬鹿なんだと思ったことは、上も下も会えた試しがない。 ほとんどの人は頭が良いという意味で尊敬すべきところの多い人ばかりである。しかし、その頭のよさにも2種類いることに気づいた。「A論理的な演繹の処理がとにかく早い人」と「B全く思いつかないアイデアや斬新な観点がバンバン出てくる人」である。どちらもすげえ人もいるが、だいたいどっちかに分類されるみたい。Aのタイプはどっちかというとコンピュータ的頭の良さだし、Bのタイプは今の科学での説明では「人間だから」こその頭の良さである。

 どちらの人にも頭があがらないが、どういうタイミングでこういう人たちと接するかは重要だ。こっちの仕事やアイデアが、もやもやとしている頃にAのタイプに話すと徹底的に虐められる。「なぜそんなことがいえるのか、証拠はあるのか、話に網羅性がない」とか。しかし、自分でそれなりに整理がついている時に、この手の人と話すと内容をより確かな方向に導けるので本当に助かる。Bの人は逆だ。もやもやとしている時に話すとその「もやもや」のレベルで、あれこれ適当な事をバンバン言ってくれるので、その中で取捨選択してこっちの頭で必死に整理すると突然「もやん」が「すっきり」になる。しかし、ある程度方向性が見えた段階で話すと、議論があっちゃこっちゃに発散させられてしまい収容がつかなくなる(特に組織論的に逆らえない人の場合は、それを実行に移さないといけない時もあるのでねえ)。そんなわけで、最近は、この発想でこっちが話すタイミングをその人のタイプで分けている。

 今読んでいる本に「仮説思考」なる本があって、まさに上記のようなこと、そして、この本の場合では、ビジネスでの本当の大事さはBであるという主張をしているように見える。もう少し詳しく言うと、網羅的に演繹的に分析する事を優先する余り決断にかかる時間が長くなることを問題視し、その解決として、直感的な仮説から組み立てた大胆なストーリを作ってから、そのストーリーが正しいかどうかを検証する方が絶対に結果は良い、ということを言っていると思う。
仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法 ← この手の本にありがちな英語の直訳のようなわかりにくい文章でなく非常に読みやすい。オススメ。

 ここで、思いついたこの本の考え方はソフトウェアのテスト技法にも使えるのでないかと。今、自身がやっているのは、「要するにプログラムなんて大体こんな感じなんだから」と割り切って、網羅的に探索せずにテストケースを自動的に決めていく、ってやつなんだけど、この本で言えば、仮説思考ということになるのかもしれない。
 
 もちろん、このような概念は、AI屋さんには当たり前すぎる話なんだろう。けど、このような概念の内容がすごいんじゃなくて、名前付けに新しさを求めれるのでは、と思ったわけさ。こういうのっておそらく今までヒューリスティック」って言う風に表現していたと思うんだよね。けど、まわりに話すときにだいたい「ヒューリスティックな何チャラ」っていうと、いい加減だなと胡散臭がるか、発想が古いという反応が返ってくる場合が多い。これを「仮説思考」というとどうだろう。何かかっちょよくないか。「仮説思考テスト技法」つまり、それっぽく言うなら"Hypothesis-driven Testing"だ。
 おお、この名前いけるかも。さっそくググル。 45件もあった。。。けど、ソフトウェアの話じゃないかもしれないから、もしかしたら本当にこの名前で引っ張れるかもしれない。その時は気づいた人も笑わないように。