自らの給料は20%カット−東国原宮崎知事

そのまんま東さんが自分の給料を20%カットしたそうな.

宮崎県の東国原英夫そのまんま東)知事は8日、(1)副知事の定数を2007年度から1人とする(2)知事の給料を20%削減する−などの条例案を2月定例県議会に提出することを決めた。行革に向けた同知事の意向を強く打ち出すのが狙いだ。(snip) また、給料削減条例案が成立すれば、知事の給料は4月以降月額99万2000円と、100万円台を割ることになる。

 この件に関してお約束の反応としては「所詮年間20万円の削減に何の意味がある,そんなパフォーマンスより仕事しろ,その仕事でいくら県政にかかるコストを削減できたかが本質だろう,だからタレント議員は...」というものだろう.
 しかし,最近の「謙虚と感謝」の気持ちを忘れない(ほんまかいな)私としては,これも積極的に評価したい.現実は意外にこういうパフォーマンスが実質的な効果をあげるのだ.というのも,最近の一連の柳沢発言を思い出してほしい.最初の発言は,コンテキストを無視すれば,女性に大変失礼な発言である.しかし,前後の文脈を考慮すれば,そんなに目くじら立てる発言でもないことがわかるはずだ.つまり本質的に国の価値下げるようなことを言っているとは思えないのである.しかし,現実には,あの発言のおかげで,国会が完全に空転した.そのため,国会議員稼働率が下がり生産性は下がったはずだ.そして,そのために検討されずに廃案になる法律がたくさん出て国民生活に良くない影響を与えた可能性もある.つまり,彼の発言は,現実的に日本という国の価値に対してものすごい損を与えてしまっているのである. 結局,ここで,学ぶべきポイントは三つある.つまり

  1. 本質や正論だけで考えても現実起こることは正確に予測できない.現実にかかわる人たちのすべてが本質を考えて行動するわけではない.
  2. ささいな行為が,大きな効果に波及することがある.
  3. どういう効果になるのか,定量的にはあんまり予測できないけど,ステークホルダの意図ぐらいは予測して複数シナリオは想定したほうがいいよね.

 要するに,いくら,やったこと自身の価値が微小なものでも,それに基づく「現実の」「波及効果」をすべて計算して議論しないと,マクロのやったことの価値判断を見誤る可能性があるのである.こういうのを,経済的には,波及効果とか乗数効果とか言うみたい(正確には違うと思うが)で,すべてを含めて考えましょうということなのである.最近の勉強によると経済学的には「総機会費用を考慮した選択として検討すべき」という言い方になりそうだ。*1

 そういう前提で考えると,そのまんま東さんが自分の給料を下げるというパフォーマンスが,彼の本気を示したり,人気をあげたりするという現実が実際にあるのなら(あるのならね),その波及効果も含めて議論しないとだめでしょ.で,全然確信はないが,基本的には今のそのまんまさんは「がんばっている」「素人なりに必死」という印象を与えることが必要なキャラ立ちしている気がする*2.つまり,この行為が,今後の彼の県政運営のやりやすさを生み,結果的に県政への価値を創出しそうな気がする.つまり,こういったパフォーマンスを続けることは,現実的に効果が高そうな気がするのだ.
 もちろん,今後そのまんまさんがどう政治の舵をとるのかはまったくわからないが,がんばってほしい.
 あと,最近,エクセグランをやめてから,いろいろ書きたいこと,考えることが頭に浮かんで,blogを書き続けているわけだが,blog界で典型的によくある,上から目線の「大衆とはこんなもの,マズゴミはアホ,引き換えマクロな視点がわかっている俺はこんなにすごいぜエントリ」的な浅はかで哀れなエントリは書きたくないなあ,そう思いました.とはいっても,マクロな視点は好きなんだけどね.だから余計に危険.李下に冠を正さずの精神だね(シンタックスもセマンティクスもあやふや).何回も言っているけど,本当に頭のいい奴の頭の良さはすごいよ.あなたの周りにイチローはいる?イチローと野球をしたこともないのに野球のすべてをわかったかのようにいうのはかっこ悪いよ.

*1:ref: スティグリッツ入門経済学 <第3版> ※現在は第3版しか出ていないようであるが、私が参照にしているのはこの本の第一版であり、その中の第2章 5節 5.1

*2:一方,同じことを田中康夫さんがやっていても,なんというか,彼独特の俺以外はアホだよね的な雰囲気が同じような彼のパフォーマンスの価値を低下させていたと思う