車輪の「再生産」

車輪の再発明というと「広く受け入れられ確立した技術や解決法を無視して、同様のものを再び一から作ってしまう事」by wikipediaということで、ソフトウェア業界では、忌み嫌われることである。 ただ、最近自分が苦手としてきたことをやろうとしてみてわかったが、どんなにしっかり知識体系が記述された本を読んでみても、やってみると、「その知識体系を用いれば可能となるはずの作業」の本当のやり方がやっとわかるようになるし、そして、逆にその知識体系の本質がわかる場合が多い。 つまり、車輪を再発明する必要はないが、車輪を再生産することは、必要な場合があるということだ。
ま、あたりまえのことを言っている。しかしだ、困ったことに、この手の話は二分法になる場合が多く、「なんでも経験が大事だ」派と「やって身に着けるというのは、基本的には無駄だ」派に分かれてしまう。 そうじゃない。たとえばシステムの開発得られるさまざまな知識や知恵やノウハウの中で、何は、「本を読めばわかる話」で、何は「やってみないと身につかない」ことなのか、その区分を明確にすることが求められているのではないだろうか。 そんなことわかっていると皆言いそうだが、実際きれいな分類を聞いたことがない。ここらは考えどころだなあ。