比率尺度のせいで失敗を繰りかえしている件について

 突然だが、なぜ測定は重要なのか?本質的とはいえないが一つの回答は、「科学的進歩のため」であろう。科学が進歩した状態とは、簡単に言ってしまうと新しい理論の構築された状態を指すといってもよい。理論と言うのは、多くのより具体的な命題の正しさを論理的に保障する知識体系(概念とその定義)ということになろうかと思う。つまり、理論の構築には、複数の正しい命題が必要なわけである。しかし、そもそも理論的背景がない場合の個々の命題の確からしさは、その命題が確かであると仮定した場合に現実世界で正しいはずの事象を仮説とし、その仮説を検証するという行為で行われる。
 では、仮説の検証はどうするのか。命題に戻ると、命題は、既知の概念やその定義を用いた文章として成り立っている。また、命題は、汎用性を求めるがゆえ、現実世界から比較すれば抽象的な概念から構成される場合が通常である。よって、現実世界の事象である仮説の検証には、命題を構成する概念やその定義は役に立たない。だから、検証対象の仮説の確からしさを判断するために必要な現実世界で取得できる”何か”を、その命題を構成する概念の代用として定義し、その定義したものを取得する手順(procedure)をさらに定義することになる。この代用の定義が尺度とかメトリクスとか呼ばれるものであり、後者が測定とよばれるものである。これらを用いて検証の手順が定められる。つまり尺度を定義したり、測定の手順を決めることは科学の発展に欠かせないということなのだ。
で、尺度である。尺度には、その精度や有用性によって何種類かある。検証の手順において、複数の尺度を比較するような手順が含まれる場合、最低限、遷移性のある尺度が求められる。遷移性とは、要するにA>BかつB>CならA>Cということだが、このような性質を満たす尺度としては、順序尺度、差尺度、比率尺度があり、まあ名前どおりの性質を持つ尺度である。で、一般的にこの順番によりレベルの高い尺度であると言われている。なぜなら、よりレベルの高い尺度は必ずよりレベルの低い尺度の特性をすべてもつからだ。(たとえば、比率尺度はかならず順序尺度で可能な比較に関する判定が可能である)
 けど、実際そうだろうか?最近思うのだが、比率尺度は、結構誤った検証結果を導出したり、戦略的に利用されたりするので危険だ。

たとえば、

  1. 全く反応のなかった女の子が、突然二人でご飯ぐらいならOKって話になった場合。
  2. すでに付き合っていて愛情もそれなりに芽生えている女の子が、なんの理由かは知らんが、よりこちらを大事にしてくれるようになった場合。

 これって普通、前者は0が1になった感覚。後者は10が12になった感覚がするよねえ。で、この場合、どうも猿よりちょっとえらい人間様は、どちらがより価値があるかを比率尺度で決めてしまうのである。その結果、1は無限、2はたった20%増!と考えてしまい、結果として、ROIの観点から冷静に判断した結果、1により投資をかけてしまうことが合理的であると判断する人が後を立たないのだ。この人間の習性を上手に使っている人は銀座や六本木界隈に多い。ツンデレといわれるものも、これで説明できる。しかし、実は差尺度で考えれば、2により価値を感じるべきで、そういう人は円満で長期的な関係を結べ、実は幸せかつROIも高いのであろう。えらいねえ。
 結局、なにがいいかったかわからないが、要するに、下記の本は大変勉強になるので読みましょうってこった。

ソフトウェア品質工学の尺度とモデル

ソフトウェア品質工学の尺度とモデル

↑ ただし、7章まで。8章あたりから、今は????というか、今は悪影響のほうが強いと思う話が多い。