ベストプラクティスの罠 2

また酒を飲んだ。まずい。けど、面倒なので数式で書く。
 ある組織文化や環境などwとする。pを何らかの活動とする。「wにおいてpという活動がやることが正しい」が真である事をあらわす真理関数をB(w,p)としよう。 一般にべストプラクティスというのは、BP(ρ)≡∀w,B(w,p)∩p⇒ρを満たすρである。つまり、「すべてのwにおいてもB(w,ρ)が成り立つようなρのみ」がベストプラクティスになる。そのためには、一般的にρはpと比較し、大変抽象的な内容になる。その有限な集合がベストプラクティス集である。何らかの組織で行われる活動であるという真理関数をP(p)とすると、すべてのpがこのベストプラクティス集を満たしている状態とは当然∃ρ∀p,P(p)⇒(p⇒ρ)∩BP(ρ)ということだ。ある組織がベストプラクティスを満たしているというのはこういう状態だ。
 しかし、これでよかったのだろうか。欠けているのがwである。wが完全に抜けている。あたりまえだが、この状態は、∃w∀p,(P(p)∩B(w,p))ではあっても∀w∀p,(P(p)∩B(w,p))にはならない。しかし、一般にベストプラクティスを実施しているかどうかの監査を受けるような組織は、その監査が、一般的に∃ρ∀p,P(p)⇒(p⇒ρ)∩BP(ρ)であるようにとらえ、取得のためには、∃ρ∀p,P(p)⇒(p⇒ρ)∩BP(ρ)さえ満たせばいいと思うことになる。しかし、元をたどるとそんなことはなくて、その組織の組織文化や環境がWなら、本来∀p,P(p)∩B(W,p)を真にすることを目指さなければならないはずだ。
だが、∃ρ∀p,P(p)⇒(p⇒ρ)∩BP(ρ)となりうるpはたくさんあって、その中には「そう定義するのが楽である」pとか、「そういう構造だと監査しやすい」pとかが含まれる。つまり、本来Wにおいて∀p,B(W,p)であるかどうかなど、もはやどうでもいいことになる。これが形骸化の本質だと思っている。上記をラティスを使った図で表すと直感的にものすごくわかりやすくなるのだが、その図は尊敬するとある先生が昔説明に使った図とほぼ同じになるので申し訳なくて数式にしてみた。
けど、そんなことはわかっちゃいるけど、というところなんだよね。みんな。あー酒飲んでいる場合じゃないぞ。