偽善エコロジー

「偽善エコロジー」という本が今日の日経の主要面の広告として載っていた。中身はよくあるだろうから読むまでもない。どうせ

  • エコロジーであるといわれている行動は、実はエコロジーではない。
  • つまり、おおよそのエコロジーとされる行動は、エコロジーの一般定義である「地球に優しい」という目的に対して逆の効果がある行動である場合が多い。
  • たとえば、割り箸を使わないとか、エコバッグとか、PETボトルのリサイクルとか。
  • それを豊富なデータと科学という真理を明確にできる唯一の手段が実証する
  • そして、それらを承知でビジネスとか利権のためにやっている輩がいるのが現実を示す

とかそんな内容であろう。
で、また大概、著者は利権には縁が遠そうなただ科学という「手段」に強いってだけで生きてきた中途半端な大学の教授とかそんな感じに違いない。まあ、洞爺湖サミットも近いしちょうどいいタイミングだろう。

偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する (幻冬舎新書)

偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する (幻冬舎新書)

 しかし、偽善エコロジー、何が悪いの。エコロジーではないということは、大きな目で見ると消費が増えるということだ。だから、それで景気が良くなったらみんなハッピーじゃん。エコロジーというは「それが人として良い価値観」であるという共通認識を持てる久々の大型新人である。その共通認識が新たなビジネス市場を産みだせそうにまでなってきた。そして、この市場の中でビジネスモデルを構築し実践できる人のおかげで、エコロジーという範疇で「人として良い価値観」の実践を手軽味わえるサービス化がなされつつある。だから、いよいよ 今後そのサービスによる消費が生まれようとしているのである。こういう流れに水を差すなっての。まあ、この本が売れれば、それも消費だからいいのか。
 自分は以前、社民党はもう平和とか人権とか命の価値は一緒とか、すでに先進国でかなり前に共通認識として確立してきた「それが人として良い価値観」を手軽に味合わせてくれるサービス企業にビジネスモデルを変化させるべきだと言っているのだが、その変化ができたあかつきには、エコロジーもサービスメニューとして扱うべきであろう。だいたいこの手のって顧客プロファイルが似ているし、既存顧客をがっちりつかんでいる老舗「社民党」は強いはずだ。
 基本的に、人は自分の価値観で良いとされる行動をすると気持ちがいい。で、共通的に良いとされている価値観に沿うということは自身で価値観を確立できない人にはお手軽だし、良いとすることを手軽にできるサービスを提供されると面倒がりで消極的な潜在的な消費者も喜んでそのサービスを享受しようとする物である。典型的な例が募金だ。あんなもの、こっちがいいことをしたなあと最後まで思わせるような戦略モデルをしっかり持っている業者なら募金の金を全部募金業者が飲食に使っていようが、特定の難病を持った子供にのみ利用されていても全然かまわないと思うのだが。ビジネスモデルとしてとらえるならキャバクラと一緒だ。若い女の子にもてている気を最後まで持たせてくれていたらいいのである。もちろんこれはビジネスの戦略モデルの話だけを言っているだけで、自分も募金する場合は実際効果を低リスクで確実に出しそうな赤十字とか労働組合などにしかやらないけど。
 というわけで、当社もこれからはエコロジーとか環境問題に全力を投入する理由があるのだ。