都内でスケートリンクが

スケートリンクが増えている

スケートリンクが増えているらしい。いいことだ。

この冬、都内にスケートリンクが続々登場する。全国的にスケートリンクが閉鎖する中、なぜいま? 取材を進める中で、テレビ局の“フィギア中継連動型”と、“子供集客型”の大きく2つに別れることがわかってきた。

赤坂サカス スケートリンク

これらはホッケーリンクが増えることには直接影響しないのが残念だが。。。

各主催者の思惑は様々だが、共通して垣間見えたのは“スケートを盛り上げよう”という意識だ。取材の中で印象に残ったのは、次の言葉だった。
スケートリンクが次々と閉鎖し、スケートシューズも余っています。人気とは裏腹に競技人口がどんどん減っていく現状を、何とかできないものかと考えたんです」(テレビ朝日事業局)

おれもホッケーへの恩返しに何かできないものか。

ちなみにいうと、氷を使わないスケートリンクは、こけたら摩擦で結構熱痛いので気をつけよう。

アフラック

NHK杯をみていたが、真央ちゃんもよかったが、アフラックのお姉さんにも感動した。

長野オリンピックのシーズン始め、当時40歳代半ばの父を肺癌により失い、日本代表選考争いにも敗れ、一時はスケートを辞めていた時期もあった。スケートを再開し、ペアを求めて渡米した後も苦難は続き、レッスン代と生活費捻出の為、土産品店でアルバイトをしていた。充分な衣装代も無く、自身の裁縫による衣装で出場した大会もある。渡米後、肺がんに罹患するが、幸いにも抗がん剤治療をもって完治する。この治療も入院することなく通院で済ませ、抗がん剤の副作用に耐えながらアルバイトとレッスンを続けた。この通院治療中のレッスン中、誤って落下し頭蓋骨を骨折。一時は意識不明、前歯をほとんどなくすという大ケガをし、後遺症で心的外傷後ストレス(PTSD)に悩まされ、更には卵巣を片方破裂させて卵巣摘出する事態となり、辛い闘病生活を送っている。しかし、井上は終始一貫病気などを一切言い訳にせず、練習・競技に打ち込んだ。そんな井上を理解し共に競技生活を歩んできたのが、現ペアのボルドウィンである。二人の生きる姿と人間性は、スケート競技の力量以上の感動的なストーリーとして、多くのメディアが取り上げた。

この人すごい。おれならあっという間にくじけるが。