ずっと勉強するということ

 自分は、コンピュータ業界なるところにいる。なぜかということ、結局昔からプログラミングが好きだったからだ。小学校の時代にFM-7を与えられて、F-Basicとアゼンブラだけであるがプログラミングをしていた。なんだかんだで社会人手前になり、その趣味を活かそうと思い、今の会社に入っている。そんなわけで、おそらく通常の人よりも、さらにいえば会社の中でもプログラミングはできる方だという自覚はある。
 しかし、いわゆる「企業研究」なるものをまともにしていなかったので、プログラミングがあまり必要のない会社だということには、入社してから気づいた。それでも、なるべくプログラミングが可能そうなキャリアを選択して今に至っている。その過程で、プログラミングが何となくできるというだけではだめで、様々な知識が必要であることがわかった。それで、結局、他の人に追いつけとばかりずっと勉強である。なので、最近は大学で勉強をしておけばと悔やむ毎日である。

最初は、コンピュータサイエンス。自分は確かに何となくプログラミングは得意だ。ソートのアルゴリズムとか、構文解析のプログラム、クラスの抽出、アーキテクチャ設計、スレッドセーフ、DBの構造など、なんとなく考えて作れば普通の解説書に載っているようなレベルの答えをなんとなく作っている。それはよい。しかし、その背景にある理論は理解していないので、人に教えれないし、本当の達人のレベルには絶対いかない。そこで、コンピュータサイエンスを勉強した。といっても、オートマトン、プログラム意味論、検証・形式手法系、コンパイラ基礎あたりだけであるが。
次は、離散系の数学を勉強した。コンピュータサイエンスを勉強しだすと、そこで示されていることに対する元の原理に??な事が多くなる。それを理解するために、やはり数学は必要であると気づいた。特に論理学、集合論、関数あたりの基礎を知っているのと知らないのでは、全くコンピュータの世界の捉えられ方が変わってくることがわかった。
その次は、哲学、特に分析哲学である。 数学は妥当性は保証するが、現実世界とコンピュータの世界をつなぐために必要な、価値観自身のとらえ方、そして価値の分析手法、公理以前の前提などに何ら答えを与えてくれるわけではない。そこで、それらの答えがあるのではと分析哲学に一時期はまった。その中で、ヴィトゲンシュタインという人は相当いいことを言っているに違いないという点とゲーデルラッセル、ノイマンあたりはどうもあり得ないぐらいの天才らしいということはわかった。が、正直難しすぎてわからんかった。
 次に興味を持ったのは経済学だ。経済学を知らなくてはと思った理由は二つあって、一つはシステムに対する値段をコストではなくバリューで決めようと考えた時に安直にそりゃ経済学の範疇でしょと思ったため。二つ目は、ソフトウェア工学なるものの末席にいると、ソフトウェア工学とソフトウェアサイエンスというのはなんというか同じようなコミュニティがやっている割には全然考え方や対象が異なっているがいいんだろうか、物理のように大統一理論で統合!のようなことは考えないのかと思った。じゃあ、経済学では、マクロとミクロをどのように折り合いをつけているんだろうか?ということを知ろうと考えたためだ。結論的に言うと、前者において経済学の基本がどう回答するのかというのは単純なところでは理解できた。しかし、経済学は、生じた現象を解釈したり納得させたりするには非常に便利なツールだが、何か未来に新しい予測が保証できるツールとは思えなかった。もちろん対象が自然でないのだから当たり前なのだろうが。また、マクロとミクロは使う対象が異なるんだから統一するようなモノではないらしいと理解した。
 で、今勉強したいということだが、二つある。一つは考古学。もう一つは法医学。というのも、自分がソフトウェア工学の知識体系でいうところの保守フェーズ、プログラム理解、リエンジニアリング、リバースエンジニアリングあたりに興味があるから。実際、保守が出来そうにないかなり残念なシステムの無念に近い成果物が存在する。その成果物をもとにリエンジニアリングやプログラム理解をするには、その成果物をただ眺めるのではなく、その残念とか無念とかの特徴から、そこに至った歴史を知り、元の姿を知り、今の本来の姿を復旧するという過程を経ないと解決ははるか彼方、膨大な時間なる。というか、実際なった。 つまり、そこに至った歴史とかそこに至る過程を知っている人がいない状態で、残ったものだけを証拠として、本来の姿、仮に正しい今があるとした場合の姿を復旧するという知識を身につけなくてはならないと思ったのだ。最初は細木数子とか太った江原さんとかFBI科学捜査官のおばさんとかのノウハウを思いついた。かれらは何でもわかってしまう。これはすごい。しかしどうも使えそうもないしなあと、次に想い立ったのが、考古学と法医学だ。そんなわけで、シュリーマン吉村作治先生と上野教授から教えを請うこととします。

 生きている以上、一生勉強は必要かなあと思います。大学時代の教養学科の時代にちゃんと勉強しておくべきだったと本当に後悔する。もちろん、大学時代にちゃんと勉強していたら、このblogの題名は「ITのある日常」だったと思うけどね。