対象の見方

 そんなわけで、最近開発プロジェクトがどうしたら「良く(高生産性とか高品質とか)」なるかについて考えているわけだ。このレベルの概念では仕事は2,3年変わっていない。しかし、物にはさまざまな見方がある。それによって、物への解釈や認識は変わるんだろうねえ、だから問題認識や導出される解決手段も観点によって変わるよねということを、ようやく感じつつある。
 良い開発プロジェクトがある。一方、なんかひどい開発プロジェクトがある。何が違うのか。2ヶ月前までの俺は、エンジニアリングから開発プロジェクトを見る観点しかもっていなかった。だからツールが悪いとか、自動化が出来ていないとか言っていたであろう。今の俺はプロセスやマネージメントに観点が移っている。だから、大きなゆり戻しで、プロセスが悪いとかプロジェクト管理が悪いとか素人意見で言い出す始末だろう。しかし、実は、中の人の生産性が100倍違う天才集団だっただけだった、というオチもあるかもしれない。
 個である「開発プロジェクト」は唯一ひとつ。なのに、観点によって、それがどう捕らえられるかは全く異なる。自分がエンジニアリングの観点にしか目がいってなかったように、プロセスにしか観点が行かない人は、問題を常にその観点、つまりプロセスに求めてしまうだろう。それは大きな間違いであるかもしれない。つまり、ある「個」に対していろいろな観点を持てること、それが大事だと思いました。
 けど、そんなことプラトンさんが大昔に言っていたそうですプラトンって偉い。

分類学からの出発―プラトンからコンピュータへ (中公新書)

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今読んでいるが、名著の予感