ベンザリンで本質的原因について考える

寝るためにベンザリンメイラックスを飲んだ。そして文章を書きなぐる。ようやく眠くなってきた。寝よう。

本質的原因を探るの巻
− 本質的な原因をさぐりたい。みなそんな欲求を持っているよね。けど、そもそもそれが僕にとっては疑問だらけなんだ。
いまさら何をいっているんだい。Googleで「本質的な原因」という語句を検索してみなよ。最初のほうに出てくるどの結果も「本質的な原因」という言葉の意味を知らない人がいると思っているような文章にはお目にかからないよ。
− じゃあ、君は「本質的」という言葉の意味を知っているかい?
えーと、辞書によると「物事の根本的な性質にかかわるさま。」だそうだ。さらに言えば、「本質的属性」という言葉は、「ある事物がそのものとして存在するために必要不可欠な性質」という意味だそうだ。
− そんな答えで納得できる?じゃあ「根本的」ってなんなのだろうか?君の「本質的属性」って何?
僕の本質的属性かぁ。なんだろうか。名前じゃないし、外見的な特徴でもないし、内面的な性格でもないなあ*1。DNAとかになるんだろうか?
− 生物はそれでなんとなく納得行くかもしれない。じゃあ、ぼくらの目の前にあるテーブルにのっているそのコップの本質的属性は?
うーん。このコップが「そのものとして存在するために必要不可欠な性質」を持っているとは思えないよね。確かに、このコップがテーブルから落ちて割れる。それが砕かれて別の何かになったとする。どこまでが「このコップ」だったんだろうか?わけがわからなくなってきたぞ。
− つまり、このコップとか君とか、あそこで寝ている猫のミーとか、個体は本質的属性を持ち得ないんじゃないかな。むしろ、コップとか人とかそういった一般名にのみ本質的な何かがあることが許されるのではないかと思うんだ。
つまり、人の本質は、「思考能力があること」、コップの本質は「中に液体を入れておくもの」とかそういうことかい?
− うん。それでも変なところはある*2が、少なくとも個体に比べれば納得がいく。このことをモノではなくコトに拡張したらどうなるだろう。たとえば、「コロンブスが1492年に新大陸発見した」という具体的なコト。このコトの本質って何だろうね。
そういわれると良くわからないね。「誰かが新大陸を発見したこと」なのかなあ。
− やはり、コトについても具体的な事象に関しては本質的であるとは、いえないんじゃないかと思う。
まあね。けど、元の君の疑問から離れてないかい?本質的な原因をみつけることへの疑問だったんじゃないか?
− いや、そうでもないんだ。今までの話からは、具体的な事象を本質的な原因とするのは無理があるんじゃないかと言えないか?
具体的な事象は本質的な属性が何であるか決めれないものだとしたらそうだよね。
− じゃあ、どう考えればいいんだろう。ひとつの疑問はここだ。「具体的事象を本質的な原因とする」ことはありえないんじゃないのか、じゃあ本質的な原因足りえる事象って、どんな特性を持っているんだろうか。
まあ、それは単なる言葉のあやだよね。みんなが「本質的」という言葉を正しく使ってないというだけではないかい?
− いや、それだけの話でもない。 そういえば、君はこの前会社のA子にふられたよね。
やな過去を突然言い出すね。それがどうしたんだい
− その時、振られた本質的な原因をちゃんと考えたかい?
いやというほど考えたよ。結局本質的には彼女のセンスに合わなかっただけみたいなんだよ。で、それがまた無茶な話でさ。。けど、そもそもそれがわかったとしてもA子はもう戻ってこないし意味がないよ。
− そこなんだ。A子に振られたという事象は具体的な事象だよね。このことに対して本質的な原因が明らかになっても何の解決にもならないんだよ。なぜだろう。
そりゃA子はこの世に一人だし、A子のセンスを変えるのは俺には無理だ。
− つまり、それはこういうことなんじゃないか。人が原因を考えるのは、解決策を明らかにするため、そしてそれが自分の制御で実行可能である場合のみ意味がある。つまり具体的なひとつの事象の本質的な気がする原因を考えることは、その意味においてなんら意味のない特定作業ではないかと思うんだ。
まあ、そういうことか。けど、今後俺が女性に再びもてるにはということを考えることに意味はないのかな。
− その時点でひとつのモノやコトに対する本質的な原因を探ろうということを破棄していないか?それは繰り返し再現される事実に対する原因を探ろうとしているし、自分で制御可能な解決策を模索しようとしている気がして、何か「個々の事象の本質的な原因を探る」ということをしているわけではなさそうだ。
そうか。
− ながなが議論してきたけど、これは個体と一般名、個別事象と繰り返し再現される事象との違い、そして「なんのために原因を探るのか」のなぜをもう一度問い直そうというあまりにあたりまえのことについての議論の出発点だったんだ。
うーん。そう聞くと、安易に本質的原因を考えようは言えなくなるね。
− そうなんだ。本質的原因を考えるってかっこいい言葉だけど、何かぼくには違和感があるんだ。で、本質的という言葉の議論はおいておいて、ほんとに「意味のある原因を探る処理」とは「何か」について考えることこと。さらに、そしてそのやり方についても考えたい。しかし、これにもいろいろわからない点があるんだ。
なんか、君暇なんだね。
− そうともういう。簡単な例で言うと「コロンブスが1492年に新大陸発見した」この根本原因はなんだろうか。「コロンブスが1492年に生きていたから」はどうだろう。さらに言えば「人類が誕生していたから」これはどうだろう。何か違う。なぜだろう。「白旗を振ったことによって敵は降参を合図した」、「猛練習をしたことによって、甲子園出場を果たした」前者と後者は構文的に同じなのに、後者は猛練習が原因なんだけど前者が違うような気がするのはなぜだろう。「ミャーが猫な原因は、ミャーが三毛猫だから」これも変だよね。ちょっと眠たくなったので次の機会にでもまた。
君、目覚まし時計今7時に設定しているけど、おそらく9時20分に飛び起きるね。
− だね。ま、本質的原因は僕のコンピテンシでなくフレックス制度の存在なんじゃないかな。
君は本当に都合よく考える人だね。

哲学の謎 (講談社現代新書)

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↑文体完全にパクリ。超名著。

*1:本質的属性でない属性を「偶有的属性」と呼びます

*2:最後の野矢先生の参考図書に答えが書いてある