アルコールとアーキテクチャと私

アルコールは体に悪い

自分で言うのもなんだが、アルコール依存症だ。アルコール依存症のスクリーニングテストみたいなのをすると、もう笑うしかないぐらい決め付けられる。 そもそも、自分がアルコールを飲みだすようになったのは7年前ぐらい。それまでは、飲み会に誘われたら飲むぐらいで後は一切飲まなかった。だから一ヶ月に一回ぐらいか。しかし、7年前ぐらいからほぼ毎日家で飲んでいるといって過言ではない。7年前といえばちょうど自分が癲癇になった時期と重なる。 それ以降、基本的にまいにち飲んでいるし、調子が悪いときは、金曜日の夜から日曜日の夕方ぐらいまで飲み続けていることもある。 当然、大きな声では言えないが、二日酔いで会社にいけないときもある。ダメダメだ。
 なぜ、そんなにもアルコールを飲むのか。アルコール依存は病気であるといわれている。つまり、自分の力で制御できる種類のものではないらしい。しかしだ。最近、癲癇の薬を変更したり、その薬の副作用を抑制する薬を飲んだりを定期的にしていてその状態とアルコールの飲み具合の客観的に観察して見ると、基本的に俺にとってアルコールは逃げの手段であるらしい。つまり、自分がこうあるはずだという姿になっていない時に、そのこうあるはずだの姿をあきらめてそれに耐えられない時にアルコールでそれを忘れる。癲癇になっていろんな意味でこんなはずじゃないということが多くなったが、それに相関してアルコールの量が増えている。確かに、癲癇になるまでは、「落ち込む」という感情がまったく理解できなかった。アイスホッケがへたくそなのは運動神経がないからしょうがない、彼女に振られても相性がわるかったんでしょうなあ、仕事で成果がなくても別に俺はやりたいことがやまほどあるから別にどうでもいいやとか思っていたのだが、ある時点からそういう風に考えられなくなって、その結果得た天使の顔をした悪魔がアルコールだったというわけだ。  アルコール依存症になると、一滴飲むともう酔いつぶれるまで飲んでしまう。制御がまったくできない。そして、調子が悪いと、会社の出た1Fのコンビニでビールを買わないと気がすまないこともある。 ひどいときは、彼女と住んでいた頃、台所の料理に使うお酒をこっそり飲んでいた頃もある。 逆に調子が良いと、一切飲まない。調子がいいときは、アルコールを飲んでいる暇があったらほかにしたいことが山ほどあるからだ。
 結局、これまでを考えるとこんなはずじゃというときに、努力をしてこんなはずに近づくより酒で忘れるという習慣を7年実践していたことになる。これは今の自分の年の習慣としては非常に致命的だ。確かに自分は人生で努力をしたことってない。受験とか入社とかギリギリで適当にやったらなんとかなった。これは、自慢でもなんでもなく、与えられた才能と環境の賜物でしかないのだが、それに気づかずずーっとこんな感じでやってきた。10年ぐらいの会社員生活も会社の評価は別としてなんとかなっていた。しかし、これから自分が納得いく人生を送るためには、こまったらアルコールに逃げずに努力をするという力が必要だ。そうなりたいし、まだこれからでもできると思って生きていくことにしよう。

アーキテクチャと私

アーキテクチャはシステムのおおよその機能を知る上で重要だ。
最近、MSのLive mailを使っている。 VistaのPCを使っている自分の母親にも薦めて見た。自分の母親は、最初は机の端でマウスが動かせなくなって怒っていた頃からものすごいスピードでPCの使い方を理解し、今では60歳を超えた人間とは思えないPC リテラシーの高さを誇っている。 しかし、ずっとみてわかったのだが正常系には非常に強いが、異常系には圧倒的に弱い。一度、PCがへんな動作をするとお手上げらしい。Vistaなんか異常系の嵐だから大変だろう。私のようにこの業界にいる人間と比べて何が違うのかと見ていた。結論は当たり前なんだが、内部構造に興味がないというところが大きい。もちろん、一般ユーザーがそれであるのは当たり前だ。一方、自分はこのシステムとかこのアプリケーションはどのような構造を持っているんだろうというのが気になる。たとえば、Live MailはIDとしての文字列(XXX@live.jp)と、メールアドレスとしての文字列(XXX@live.jp)は論理的に異なる。そして、MS LiveというシステムではIDとしての文字列さえ登録すれば利用でき、これでメールやらメッセンジャーやらblogやらが使える仕組みになっている。また、既存のメールアドレスをIDとして扱い、シンジケーションができる仕組み(リバティ アライアンスみたいなもの)がある。アーキテクチャとしては非常にきれいだ。しかし、普通の人は、まさかxxx@live.jpを登録した際にこれが単にIDの登録であり、このような文字列のメールアドレスを利用できる環境が設定されるわけではないとは思わない。内部のアーキテクチャがわかっていればこういうことは想像できるが、普通の人はわからない。普通の人は正常系(ここで正常系というのは、普通の人が普通にやることという意味)のユースケースしか気にしないものだ。Vistaは基本的に正常系を強調したOSだ。ただ、Vistaを作った人が正常系と思っていることを理解するまでが結構時間がかかるという問題がある。(それがわかると以外にVista便利)。一方、MS Lilve系はアーキテクチャがきれいだが普通の人の正常系を意識していない。それが問題だ。Vista&MS Liveは技術系で混乱している気がする。俺はMS Live系の考えのほうが好きだが、普通の人にはあれはダメだ。