のび太とともに人生を歩む

 俺らぐらいの世代だったらドラえもんは欠かせないだろう。ドラえもんというのは「タイムマシン」や「タケコプター」などの子供にたいそう魅力的な発明品や、「どこでもドアの先はなぜかしずかちゃんのお風呂」とか「最後はのび太が痛い目にあう」などといった予定調和が基本ではある。しかし、もっと長く心にしみつくものは映画に感動中編としてバンドルされるあたりの作品集である。
この感動中編としてバンドルされる作品集は面白いことに人の人生の節目節目に、またそれぞれのキャラの立場に感情移入し何か心に来るものを与える作品たちである。
 自分は、物心ついてはじめて「さようならドラえもん」で痛いとかでなく涙が出たのを覚えている。そして、祖父母がなくなった頃にふと思い出して読んだ「おばあちゃんの思い出」に感動し、結婚する前に「のび太の結婚前夜」のDVDを酔っ払った勢いでAmazon 1clickで買ってしまった。まあ、そんな感じで、人生のマイルストンにはドラえもんの感動中編が存在し、時々ののび太に感情移入してきた。
 ところがそんな自分にも転機が訪れてきている。いま「ぼくの生まれた日」をほしくなっている。それは、この物語でののび太のパパに感情移入したいからだ。何十年か先には、再び「のび太結婚前夜」で、今度はしずかちゃんのパパの気持ちに感情移入できる日が来るのであろうか。そして人生の夕暮れでふたたび「おばあちゃんの思い出」のおばあちゃんの気持ちがわかる日がくるのかもしれない。