自己記述性
月刊ASCIIの新装第一号を買ってみた。
意気込みは感じるが、全体としての方向性が感じにくいし。そもそもあんまりおもしろくない。大丈夫だろうか。そのなかでxfyの記事があった。
記事中「XMLは自己記述的という強力な特徴がありうんぬん」というくだりがある。そもそもXMLって言葉をなつかしく感じる自分に最近の極端な記憶力の衰えを感じる。
中学の頃は10分ぐらい単語帳を眺めれば100英単語ぐらい普通に覚えれたものだが、あの頃は何者だったんだろうか。当時通っていた塾でそういう雰囲気を見せるといじめられたり変な噂を立てられそうだった*1から、皆さんにあわせるように3時間ぐらい必死そうにわからない振りをしていたり。今から思うとすごいぜ俺。
この頃から人の目を気にするようになっているな。しがない転校生*2の対処作として「いなかったことにしてもらう存在感」という道を選んだのは失敗だった気がするこの頃。
そういう過去の栄光はいいとして、昔自分もXMLの説明をするようなパワポで、XMLは自己記述的とか書いた覚えがある。しかし、今から思うと自己記述的だから何がうれしいのよといわれるとウグッっていう感じがする。相変わらず浅い。UMLやBNFやCも言うなれば自己記述的ではあるが、何がうれしいのだろうかね。定義がコンパクトになるということなのか。あまり本質的でないな。数学的意味が存在する気がするのだけど。わかる人教えてください。