人生の改善活動

 人生を自律的に改善している人たちがいる*1。最も対極にいるのが俺だ。
 まあ、それはいいとして。最近開発プロジェクトの改善の話をいろいろ聞いて思ったこと。良いプロジェクトで「実践している」ことは、表面的にはすごく普通に聞く事だ。たとえば、「レビューをちゃんとやる」とか「バグに対してなぜを何回も問い、次回以降のバグをなくすための解決を考える」とか。当然、だめな開発プロジェクトも同じことをやる。しかし、「何が”ちゃんと”か」わかってないし*2、「なぜ’なぜを何回も問うのか’」わかってない。実に表面的なのである。まるで、このblogのタイトルぐらい表面的である。まるで、この話を「やっぱ’銀の弾丸はないよね’」としたり顔で言うぐらい表面的である。
 なぜそうなるか。改善された状態に至るには本来三つの層が必要であると思っていて、

   
第三の層 「何か」が改善された状態自身やプロセス自身
第二の層 「何かを前向きに改善する」ことの明示化、プラクティスの実践、プロセスの実行
第一の層 「何かを前向きに改善しようという」姿勢・気持ち

という感じになって、第三の層しか見えない人はだめなんすよ。なぜ第三の層で行われている状態やプロセスが重要かわからず実践するだけで、その実践がなぜ重要かを考えないのですね。多分。こういう人は、「Googleでは、バランスボールで創造性を高めている」というと、reactiveにトイザラスでも行ってバランスボールを買って遊びだすよ。健康になると思うから悪くはないけどね。「ハテナではジュースは全部飲み放題でやる気10倍」っていうと「うちの会社がダメなのは、ジュースがただじゃないから」って言い出すだろうし。もちろん俺もジュースタダは大歓迎だけど。

一応、上記のわかりやすいメタファの図を書いたので参照して、俺を筆頭に自戒してほしい。

うーむ、俺の沖縄嘉手納ロータリー時代からの愛読書Big Tommorowはダメか。

*1:ここで「人生が改善されている状態」とは、自分に与えられた時間から自分の幸せを生成する機械としての効率性の上昇で判断する。メトリクスが難しいが

*2:「長い時間がちゃんと」だとか、「たくさんいるとちゃんと」だとか、「偉い人がいるとちゃんと」だとか