ことわざとパターン

 後輩がソフトウェア開発に関する独学本を書いた。昨日、その本を会社でお世話になっている会社内外の人に献本していた。ほとんどの相手は、今まさに開発を一緒にしている方達で、十分勉強・参考になる本と思っていただいたと信じている。ただ、一人だけ俺なんか足元に及ばない経験と知識のある人にも渡すことになった。
 で、「あの人に独学本を渡すの意味がないし失礼じゃないすかー」と思って上司に言おうとしたのだが、そういうことわざあったよなあ、けど何だったか忘れた、思い出せないぞという感じだった。思い出すのも面倒だったので、「”まるで鉄は熱いうちに打て”とかそんな感じですよね」とか言った。この時点で上司も俺が何を言いたかったのかわかったらくし、特に訂正もしないまま、「いいんだよ、あの人には”勉強してください”って渡す訳じゃないし」。ということで会話が成立した。
 つまり、これがことわざの素晴らしさである。俺は、正確に対応することわざの文章、それ自身は完全に忘れていた。しかし、今伝えたい状況と感情をほぼ正確に表すことわざが「なんかあった(今思えば「釈迦に説法」)」ということは知っていた。そこで、とりあえずことわざを言っておけば今伝えたい状況と感情が上司に伝わるのではないかと思い、適当に思いついた「鉄は熱いうちに打て」をいったら状況が伝わったのである。
 どういうことかというと、今の言葉で言えば「パターン」である。ある一定の背景とそこで起こりえる問題と解決方法などのセット。そしてそれが頻繁に現れる現象であり、そんなに乱造はされていないこと。そして、それに一意の名前をつけた物。まさにことわざはパターンである。
先ほどの例を開発者のようなパターンに慣れた人のためにパターンのメタファで説明すると以下のようになる。

私:
適当に一意のパターンの名前を挙げる「鉄は熱いうちに打て」
上司:

  1. 私がパターンの名前を言っていることを理解する
  2. 明らかにそのパターンが現在のコンテキストに合ってないことを認識する
  3. 有名なパターンをいろいろ想起し現在の背景で用いられる適切なパターン(「釈迦に説法」)を特定する
  4. 適切なパターンから私が伝えようとしていた状況と感情を認識する
  5. それに応じた回答を返す

ということができたのである。 つまり私はことわざのインスタンスではなく、ことわざという概念のメタモデルを利用するという高度な方法で上司とのコミュニケーションを図ったのである。
 俺ってすごい。

一方、阪神のアニキ金本はこういったらしい。

「プロとは言い訳しないこと」