アンナとパリス

Rest In Peace: アンナ・ニコール・スミス(Anna Nicole Smith、1967年11月28日 - 2007年2月8日

 ちょっと古い話だが、アンナ・ニコル・スミスが亡くなった。今は、彼女の莫大な遺産から、彼女の遺児の本当の父親が誰なのかが焦点となっている。こういうときに20人近く男が名乗り出てくる国「the United States of America」が大好きなのであるが、まあそれはそれ。
 私が彼女を知ったのは、私が大好きな「裸の銃(ガン)を持つ男 PART33 1/3 [DVD]」に出ていた時にみた、絵に描いたような、ステレオタイプアメリカPlayboyGirl的を演じていた姿であった。(ぜんぜん好みではないが)。それを含めた彼女の生き方は興味深い。簡単に言うとテキサスの田舎娘が成り上がってきて、アメリカンドリームを得て、その過程でさまざまな社会的な話題を提供し、そして亡くなった。彼女の社会的話題の源泉になっているのは、彼女の寂しさを紛らわしたい強烈な渇望とお金へのさらに強烈な執着でなかろうか。それが、彼女の世間というものに対する価値観とか世間に対する強い気持ちを決めていたと思う。それは、まだ幼少のころからのそういう環境がそうさせていたのかもしれない。
 一方パリスヒルトンである。彼女が社会的な話題を常に提供してくれるという意味では、アンナと同じである。しかし、彼女の生い立ちはまったく違う。彼女はヒルトンホテル創業者の曾孫なのである。Wikipediaのエピソードを見るとめちゃくちゃであるが、ほほえましいものが多い。見ている限り、単なる「わがままで、感情的で、金がかかり、どうしようもないやつだが、おもしろいし、根本的にはいいやつ」なのである。たぶん。その理由はやはり、彼女が明らかに金のかかる人だが、お金などを獲得することに対する執着を持つ環境でなかったからではないか。神田うのとかもそういう感じの人だと思う。
 ふたりは、「ワイドショー的にさまざまな話題を提供し続けている(アンナの場合は提供し続けていた)」「ものすごく感情的」「異常なまでに金の香りがする」という抽象化をすれば同じような人に見える。しかし、ふたりの本質はぜんぜん違う。私を取り巻く環境で現実のレベルでインスタンス化して、この話をメタファとして話すと、私は、こういうさまざまな話題を世間に与え、世間に影響を与えることができる人をあこがれる。しかし、アンナは同情はするが興味はわかない。パリスは好きだ。そういうことです。それが、新富町までの道筋で言いたかったこと。

二人の比較はアメリカでもあるようだ。
プレイメイト、死後も関心強く 米の矛盾映した生き様

スキャンダラスでありながらどこか哀愁を帯びたスミスさんのような生き方は米国ではすでに過去のものになりつつある。だからこそ、これほど注目を集めているのだという分析もある。 AP通信は、同じく「お騒がせ芸能人」ながら、スミスさんより若い女優パリス・ヒルトンさん(26)を引き合いに出し、「このインターネット時代のアイドルはより洗練されているが、スミスさんほど人々を引きつけない」という。 米誌タイムは「米国人は自分で自分を作り上げる人間を好む。スミスさんほど自分を作り上げた人間が他にいただろうか」と評する。スミスさんの生き方が良かれ悪しかれ米国人の一つの典型的なライフスタイルとした上で「粗野で鉄面皮で空っぽ。普通の意味では何の才能もなかったが、彼女はそういう生き方において芸術家だった」と追悼の言葉を送った。