ホリエモンとイエス・キリスト

 日経新聞によると、16日にホリエモンの判決が言い渡されるようだ。私は自分と彼が、体型で言えば、相似というかむしろ合同という関係もあり、いまだに嫌いじゃない。特に、今日の日経新聞でも引用されていた彼の著書における「お金で買えないものはない。球団も。人の心も」というような発言は傲慢性というより、彼の苦しみを表す言葉だと思っていて、その傲慢さをあげつらう言い方にかなり違和感を抱いていた。実際、「金で人の心を買える」っていうことを経験で知ってしまうというのはむしろ苦しみではないか。たぶん、「金で人の心を買える」っていう一般的主張を彼がするに至るまでに、「金で自分の心を売った個人さん」がたくさんがいて、帰納法的にこのような主張になったわけだ。彼の傲慢さを言う前に、これは、「人は金で自分の心を簡単に売ってしまうものだ」という人間一般の性に対する警告であると捕らえ、それを身をもって体験するという苦しみを持ってしてまで、あえてその主張を広めるホリエモンに、人類の罪をすべて背負って十字架に磔られたイエス・キリストちょっと感じるというのは言いすぎであろうか、いやない(反語)
最近、土曜日に9時前か10時以降がいいねえとか特定時間に付き合いが悪い理由であるハゲタカからの一節、「世の中には2種類の悲劇がある。金の無い悲劇と金のある悲劇である」を思い出した一件であった。