インターネット上のお墓
自分が病気で寝ていた頃だから知らなかったが、萩野純一郎さんが10月29日37歳の若さで逝去されていた。この方は直接面識はないが、IPv6のBSD実装で有名なKAMEプロジェクトの主要メンバであった人であり、私自身、会社に入ったときは「ネットワーク技術担当」というところに配属されたぐらいだから、KAMEプロジェクトが何か、それが日本の中でどのぐらい画期的であったかは知っている。というわけで、この業界にいるものとしてレスペクトすべき人なのである。
この人自身のサイトがある。急逝されたらしく、亡くなる直前までblogを書いている。なくなった後の予定も書いてある。このなんというか仮想的にしかとらえにくい生と死の境界の不可思議な感覚。そして、この人が作った実装があり、この人の写真があり、この人の考え方が詰まっているこのサイト。この人の個人立ち上げっぽいサイトがいつまで運営されるのであろうかはわからない。が、仮に商用サービスサイト上であったならばそれなりの期間残り続けるであろう。そうするとおそらく、今後しばらくたって、故人をしのびたくなったら、故人のサイトをみて回想するだろう。特定の回忌にはコメントを残したりトラックバックしたり。この一見、この奇妙な感覚をぬぐいきれない状況は、われわれの世代あたりからは確実に普通になっていくであろう。
このような状況をかなり前に予見していた人がいる。山形浩生さんが書いた「メディアと怪談とインターネット」の7節「墓としてのWWW」が、まさにそれだ。 山形さんが今のWeb2.0のような世界をこの記事を書いた頃(1996 年)に想定していたどうかはわからないが、10年以上前にこのような発想ができるこの人はやっぱりすごい。