パレートの法則とか
今日、夜中にホッケーを眺めていて思ったこと。パレートの法則ってのがある。明確で出展的に正しい定義はwikipediaなどに譲るとして、要する8:2の法則、2割の社員が8割の利益をたたき出しているとか、鈴木さんのページにあるように
次に、よく働くアリだけを一カ所に集めて、新たなアリの組織を作ってみる。すると、なぜかまた働かないアリが出てくる。よく働くアリだけの集団を何度作っても、時間がたつと自然に2:6:2の比率でアリは仕事を分担するようになる。逆に働かないアリだけの集団を作ると、さすがに作業能率は落ちるのだが、それでも働かないアリの集団の中からよく働くアリが2割ほど登場するようだ。
とかまあ、組織において、組織を構成するリソースの個々リソースがたたき出すアウトプットには非常に偏りが出るという話だ。鈴木さんはこの話を「職場環境を揺るがす「人柄」や「感情」」も結構重要だという話に結論づけている。 鈴木さんの話は、一見できない社員も何らかの組織としての欠かせざる価値があるのではないか。で、どんなすごい人を集めても、その中でそうなりがちな人がその役目になるように収斂するため、アウトプットの構成はパレートの法則に従うのではと類推している。で、この一見できない社員の欠かせざる価値とは何かを考慮するに当たってどうしても「人柄」や「感情」とかいう概念を入れざる得ないという説明である。
じゃあアリは「アリ柄」とか「あの最近来たアリ愛想わりー」とかあんのか?という疑問がないではないが、自分も「人柄」や「感情」とか、少なくともそういう感情の部分がこの法則の説明させるには必須かなと思っている。
たとえば 、もとのホッケーに戻すと、自分のチームはA,Bと2チームあり、それは歴然の差だ。で、Bではやりたい放題のプレイヤーでもAではそうはいかない。ただ、それでも彼なりのスキル程度に活躍するかと思うとそうではなくて、それより通常低くなる。なぜかというと、より自分より上手なプレイヤーに任せたり、遠慮したりするからだ。そういうわけで、BではうまくてもAではBでのうまさの少しも出せない場合がある。
ホッケーは仕事の組織に比べると単純な組織プレーゲームではあるが、仕事でのパレートも同じように解釈できないかなあと思っている。 おそらく、感情や人柄から生じるリソースのパフォーマンス変化が組織のプロダクト開発や意志決定プロセスに影響を与えて、その結果、俯瞰的に見るとパレートの法則のように見えるんだと思う。そのモデルを簡単に作って検証しようと思ったが眠いのでこの辺で。たぶんやらない。
それより、小林製薬への嫌がらせとして「トイレその前に」と「トイレその際に」に商標を取ると面白いのではと思ったところで今日は仕事をした感があるので終了。