多数派の意見はだいたい正しい
以前、偽善エコロジーって本について書いた。google:偽善エコロジーでググると未だに上位の方にある。また、この本自身も結構売れているようだ。この本が一定数の人々に好まれる理由はおそらく二点で、一般論的に良いとされる価値観および権力クラウドに対して挑戦的である点とその説明手段が科学的である雰囲気を出している点であろう。 憲法9条が大好きな人と同じぐらいこの手の特性を持つ内容が好きな人は多い。
ただ、不思議なのは結構この本を信望している人が多そうなことだ。といっても、この本を自分は全く読んでいないのであるが、自分はたぶんこの本に書いてあるであろう目から鱗が落ちる的な具体的な指摘(リードを見る限りでは、割り箸がどうのとか、エコバッグがどうだとかそういうこと)はあまり信用できないであろうと思っている。なぜか。それは、「みんなそんなことは言ってない」からだ。つまり「多数派の意見はだいたい正しい」ということだ。このように言うと馬鹿かと思われるであろうが、個人的には十分な理由であると考えている。
というのは、この本は科学的なプロセスを経て導出したことが主張の信憑性を担保していると思われるからだ。科学的なプロセスというのは誰がやっても同じ結論が導かれることがその重要さの本質である。だとしたら、100人の科学者がいて、99人が同じことを主張していたら大概はそっちが正しい。1人はなんらか間違っているのが普通である。 たとえば、自分が材料学科の学生だったの時、いつ全国大会に行っても必ず「永久機関を完成した」とか「熱力学第二法則は間違っている!」とかいう題目で話す元偉い先生だったらしい老人がいた(全国大会は査読がないのでいいらしい)。どうもその人はすでに有名らしく、その人のセッションはいつも満員でみんながぼろくそに突っ込むというのが全国大会の風物詩であったらしい。これは極端な例であるが、ただしく科学的であるプロセスで導かれた結論では通常「多数派の意見はだいたい正しい」。だから、よくは知らんがこの本を書いた人は学会では相手にされていないか、入ってもいない人だと思う。つまり、この本を真に科学的なプロセスのまな板にのせれば、この人の主張は間違っていることが多いことがわかるであろうと思われる。ちなみにいうとガリレオは真に科学的なプロセスが確立し維持できる環境でなかったであろうから、ちょっと違う。
一方、「ヒトラーは民主主義が産み出した」とか安易な話で多数決や民主主義を否定する人に代表されるように、科学的なプロセスを経ていない意志決定や真偽の決定の場合「多数派の意見はだいたい正しい」は常に正しいとは限らない。これは当たり前だ。ただ、民主主義や多数決が大概正しくなるような感じに見えるシステムのよりどころと思われる資本主義はすごいと思う。
なお、個人的には偽善であろうがなかろうがエコロジーにはあまり興味がない。むしろ、エコロジーが俺の会社の室温を28度に設定させているわけだから、エコロジーのくせに生意気だぞという感じだ。
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