Windows 95の15歳の誕生日
今朝、久しぶりにFacebookにアクセスしたところ、昔の知り合いの間でちょうど15年前の今日にWindows95がリリースされたことがしきりに話題になっていた。Windows95は、マイクロソフト自身にとっては大きな飛躍の始まりだったし、パソコン業界全体にとっても「誰もがパソコンを持つ」時代の幕を開けたOSとしても大きな意味のあるものであった。
確かにこの業界での重要な相転移の一つは、このWin95発表でしょうね。
ところで、ここにある
私が、Windows95の開発に関ることになったのは色々な偶然が重なった結果だが、直接のきっかけは頭でっかちのアーキテクトばかり集めて会議ばかりしていたJim Allchin率いる「次世代のOSを担う」Cairoチームを飛び出して、「Cairoが出るまでの中継ぎ役」だったBrad Shilverberg率いるChicagoチームに移籍したのが原因。
コンピューター・サイエンスの博士号を持つアーキテクトを何人も抱えるCairoチームに「ハッカーの寄せ集め」と蔑まされていたChicagoチームが結果的にはWindows95を出すことになったのだから、何とも皮肉なことだ。
今考えてみると、Cairoは「賢い連中が会議室でアーキテクチャを決めて、下々のエンジニアがコードを書く」というウォーターフォール的な開発をしようとして破綻し、Chicagoは「エンジニア自身がコードを書きながらアーキテクチャを固めて行った」という今で言うところのアジャイルな作り方をして世界を制したわけで、私のウォーターフォール嫌いはこのあたりから来ているのかも知れない
思うに、このChicagoチームの人たちはコンピュータ・サイエンスの基礎的なところは(経験的にでも)それなりに知っているような人たちが、進め方としてアジャイル的にやったからうまくいったんだろう。決して、コンピュータ・サイエンスの知識なぞいらないという意味ではないと思う。 そこを間違えるとちとツラいチームができると思いましたとさ。