意思決定の遅延について抽象的に記述する

 意思決定をするのはむずかしいことです.一般的に人は決定を遅延させようとします.これはよく「変化の早いこの世の中で拙速に判断をするのはどうなのか」といったような内容の言葉で正当化されます.彼らは,「意思決定の遅延の妥当性」をさまざまなメタファで説明します.たとえば,Singltonにおける「lazy instantiation」,コンパイラによる「早すぎる最適化」,XPにおける「Embrace Change」など.結果的に何かを遅らせこととその必要性を示している点では同じですが,一般論として意思決定を遅らせることは常に正しい,ということは3つの例は全く示していません.
 また,怖いのは意思決定遅延のレイヤごっちゃ構造問題です.つまり,「『意思決定をするというプロセス』を決めるために必要な意思決定」がされてない状態で,「元の意思決定をしよう」というスタイルなのです.具体的に言えば,どのような静的な決まりで意思決定はなさるのか,その決まりを用いて判断するためには何の情報が足りないのかを決めることが意思決定には重要です.しかし,そのどちらも決定されていない状態で,それらのルールと情報を決めずに元の意思決定をしようという意思決定プロセスと意思決定プロセスを実現するためのプロセスを完全に混ぜてしまう場合です.こういう場合に現れる典型的な状態は,異常に長い会議と何を決めていいのか誰もわからないが,会議なので気の利いたことを言わなくちゃいけないという状況なので,全員がジャイアンリサイタルをしてしまう状態と化した会議です.
 さらに,本質的に意思決定に時間は余り必要ありません.もちろん決定のためのさまざまな情報を持ち寄るための時間は重要ですが,よく観察すると「意思決定する」という処理自身は1時間もかからないのが一般的です.そのため,多くの意思決定は単に「締め切り」ドリブンで決定されます.スケジューリングされた意思決定準備期間を終了したので,意思決定という処理がなされたわけでは明らかにありません.そのことは気にしたほうがよいでしょう.
 ところで、情報の集積が時間稼ぐ理由にあげられますが、情報の多さも意思決定を迅速化させる本質的な決め手にはなりません*1.あなたが中学生で今体育館の裏にいるとしましょう。いくら相手が自分を好きそうだという情報を得ても、それだけでは背中は押してもらえません。告白するに必要なのは「勇気」であることは、みな知っているでしょう。情報の集積ではないのです。しかし,情報の集積不足を理由にする人は多いのも現実です。なぜなら一般論としての「情報の集積不足による意思決定の困難性」は誰も否定できないからです。
 この誰も否定できない一般論をいうことは意思決定プロセスの問題にも関係があります。というのは、この例のように意志決定の場面で一般論を得意げに語る人は、意思決定プロセスの最大の敵だからです。彼らは基本的に意思決定を遅延させます。また、平気で「うーん、これは大規模をせめるか、小規模を攻めるか、どちらかだな、(ビシッ!)」などいうことを得意げに言う人もいます*2。こういうトートロジーな発言を繰り返す人も当然危険です。だって、トートロジーなんだから何も狭まってないからね。当然、話を前に持っていきません。そんな人には「ヴィトゲンシュタイン的な哲学論でいうと示唆に富む発言ですね」といってあげましょう。たぶんものすごい嫌味であることはわからないでしょうが。*3そもそも一般論で済む話を人は議論したり判断したりしません。あなたがもし数学者でないならば、「1+1が本当に2であるか」という議論をする会議*4に参加したことがありますか?意思決定とは特殊性を持った状況においてなされる行為であり、一般法則を確認する場所ではないのです。気をつけましょう。といっても私もいつも一般論を語ってしまいますが。
 ここは余談ですが,実際、意思決定の遅延が好きな人は大概「情報をまだ集め切れていないので決定に必要な分析ができていないから」といいます.すなわち,「俺は情報さえ集まれば意思決定できる」,「集まらないのは自分じゃなくて環境のせい」,「俺は分析的に物事を判断するすごい奴」という三つの主張をたった,30字程度で表現しています.すごいですね.見習いましょう.なお,この発言は実話で,かなり昔ですが,上司に同じような問題を振られた際に私が「わからないですねえ」と言った後,ある同僚が言った言葉です.結局「できない」といっているだけなのに,頭の良さやちゃんと考えている感において決定的な差を感じさせる言葉に結構感動したものです.(ここではblogなのでわざと揶揄していますが,彼はもちろん本当に優秀でいい奴でして,このコンテキストに出すのは失礼なぐらい意思決定もちゃんとできる奴です)しかし、こういう発言に対して決して,「じゃあ,どんな情報が集まったら,どのような意思決定ができるんですか」とか聞いてはいけません.もし聞いた相手があなたより偉い人なら,そんなあなたの行く末は,社史編纂室*5か庶務2課です.社史をまとめあげることは立派な仕事です。さらに、庶務2課で佳奈さんと毎日と会えることには私はあこがれますが、やはりそれはサラリーマンのパスとしては、かなりのパスミスをしています。

 まあ,長々と書いてきたんだけど,これ最近の会社のことを言っているとみんな勘違いすると思うけど違いますよ.このエントリのインスパイアは「うじうじ告白を先延ばしにしていたら,先に女をとられた大学1年の夏」っていう苦い経験から語っているのだ.そこでわかったことは「勇気と情熱って大事だね」であって,上記エントリのような話ではまったくないわけだが.

# とかいっても,Chikaさんのblogにある,意思決定の遅延を許容するシステムを持つアメリカのいい加減さも結構好きだ.

# アンカテさんは,遅延最適化がソフトウェア開発のポイントかもといっている.けど,遅延最適化が「可視化」とか「全体最適」とかみたく黄門様の印籠のように使われる場合がもっとも危険でそれは避けるべきだと思われ.

参考文献:# 最初のほうの山形節は絶品.

新教養主義宣言

新教養主義宣言

*1:山形浩生さんが同じようなことを新教養主義宣言で言っているはずです.

*2:もちろんSegmantation Phaseではこれでよいのでしょうが

*3:ヴィトンゲンシュタイン「論理哲学論考」(1922)4.462、簡単に言うと、トートロジーはどのようなインスタンスの世界でも真であるので何も言ってないのと等しいということ

*4:1+1が2であることは、「決めたこと」なので、数学者でも実際にそんな会議はしない

*5:社史編纂室は、左遷先のなぜか強力なメタファです