今日のいろいろ

今日の教え

 聖書を読む。まだGenesis(創世記) 1の解釈でいろいろ苦しんだり新しい発見があったり。神は第六の日にこう言ったそうな。

  • 生き物が水の中に群がれ、〜 (Genesis 1-20)
  • 地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。(Genesis 1-24)

 聖書によると実際そのようになったとのことなので、さすが神って感じではある。
 けど、あ、なるほど聖書ベースの人って家畜とそれ以外ってかなりのスーパークラスレベルで全く違う存在として認識しているのだなということがわかる。生き物の範疇だけどまあ食用だよねって定義されたのが家畜でしょって感覚なんだと思う。
 「生き物クラス」の直下のサブクラスが「海の魚、空の鳥、家畜、這うもの、地の獣」なんだからなあ。これがおそらく普通の日本人や仏教ベースの人にはたぶん分からない「なんで、鯨殺すのは良くないといっている人が平気でビーフを食べたりするんだろう」という疑問の理由なんでしょう。だって、鯨と牛はもう彼らにとってはテレビと水着ぐらい違う物で比較すべきものではないのだろう。神はさすがに仏教についてまではあまり知識はないと思うが、将来的に自分が作った人間どもが、科学的手法を産み出し、そして生物学というものを発明し、鯨と牛はかなり近い存在と一般的に認知される世の中が来るとは思わなかったんだろうな。
 この推測が正しかったら、聖書の記述内容が絶対という価値観が問題だと思う。キリスト教に関しては聖書という成果物(それも数ページ)でしかよくわかってない。たとえばキリストと神の関係性とか、聖書作成プロセスにはどのようなものがあったのかやステークホルダーは誰かとか、そういうキリスト教誕生・継続のプロセスに関する知識とか全然知らない。が、それでもいうと、聖書はどうも本質的な神の主張の知識体系(神BOKというべきか)ではなく、聖書を読む対象の人にあわせた読み物のようにみえる。その証拠に、聖書に書いてある内容から、神父やら牧師が聖書の記述内容は本当は神は何を伝えたかったのかということを「解釈して説明する」というアクティビティが必要となる。つまり、聖書は読む対象の人にあわせた読み物だから、当然聖書というものが記述された頃の人が理解しやすい状況にあわせて本質的な神の主張を具体化したはずだ。おそらく聖書が記述された頃、当然生物学はなく、人からみた生物の持つ機能と明確な外部特性のみで動物を大別していたはずである。だからGenesis 1-24のようなことを神が言ったことに聖書は記述してあるんだと思う。
 しかし、現代は違う。動物を分類する際に生物学の分類に従うべきということは、全世界的な幅広く認知されている点と、科学的手法という真理を追究する信頼できる手法に基づいて得た結論であるという点から当然である。そうすると、聖書だって現在の読む対象の人にあわせて本質的な神の主張を伝えるような成果物に変更しなければならないはずだ。それをせずに、最初の聖書ができた頃の状況にあわせて詳細化された成果物のみを本当に字面で価値判断の基礎とするのは、怠慢としか言いようがない。橋下知事なら許さないはずだ。
 本当の「神の教え原理主義」なら、聖書が編纂された当時の環境を徹底的に調べ、そして聖書を読み、なぜ聖書はこの具体になったかを推測し、そこから抽象的・本質的な神の主張を導出し、それを価値判断の基礎とすべきなのではないか。そして、聖書という成果物の目的が「本質的な神の主張を、現在聖書を読む対象の人がわかりやすいように記述した物」であるとすると、時代による環境変化に合わせて聖書は編纂され続けるべきなのだ。聖書に「家畜と海の魚は全然べつものと書かれている」からそれを基準に意志決定を行い「鯨殺す人反対ーとか」行動をおこすというのは、俺にいわせれば浅はかすぎて宗教を冒涜していると思うぞ。
 と、まあ聖書は深いです。全然ページが進みません。

BiogenesisX-files 6 final Episode)

Scully: (Voice over) From space, it seems an abstraction a magician's trick on a darkened stage. And from this distance one might never imagine that it is alive. It first appeared in the sea almost four billion years ago in the form of single-celled life. In an explosion of life spanningmillions of years, nature's first multicellular organisms began to multiply... and then it stopped. 440 million years ago, a great mass extinction would kill off nearly every species on the planet leaving the vast oceans decimated and empty. Slowly, plants began to evolve, then insects, only to be wiped out in the second great mass extinction upon the Earth. The cycle repeated again and again. Reptiles emerging, independent of the sea only to be killed off. Then dinosaurs, struggling to life along with the first birds, fish, and flowering plants their decimations Earth's fourth and fifth great extinctions. Only 100,000 years ago, Homosapiens appear man. From cave paintings to the Bible to Columbus and Apollo 11, we have been a tireless force upon the earth and off cataloguing the natural world as it unfolds to us. Rising to a world population of over five billion people all descended from that original single cell, that first spark of life. But for all our knowledge, what no one can say for certain, is what or who ignited that original spark. Is there a plan, a purpose or a reason to our existence? Will we pass, as those before us, into oblivion, into the sixth extinction that scientists warn is already in progress? Or will the mystery be revealed through a sign, a symbol, a revelation?

Episodeの最初にSucllyが科学者として生物の誕生の歴史を語る。しかし、科学は最初がどうだったのか、そして何のために生物が誕生したのかを教えはしないと語る部分

Ref 映像の世紀のガイドライン

宗教対科学の進化論裁判 1925年7月
アルバイトの高校生の証言より

法廷内の暑さといったら、まるでオーブンの中みたいだった。
あまり熱いので裁判長が裁判関係者と報道陣にコーラを売ることを許可した。
私一人がその売り子に選ばれたというわけだ。
裁判を傍聴している人はほとんどが検事のブライアンの味方だった。
弁護士のダロウがあまりにもねちねちと聖書の些細なところをあげつらっては
ブライアンを追い詰めて宗教をバカにするもんだから、みんないらいらしていたのだ。

進化論を擁護する弁護士ダロウ(以下D)
聖書を擁護する検事ブライアン(以下B)

D「あなたは、ノアの箱舟に乗らなかった生物は全滅したと信じていますか?」
B「魚は生き残ったでしょう。」
D「魚以外は?」
B「さあ」
D「どうなんです?」
B「証拠はない。そうだろう?」
D「あなたはどう思うかと聞いてるんです。」
B「全滅した。そう信じてる。」
D「それではこれはどうです?
  ヘビをはイヴを誘惑して知恵の実を食べさせ、神の怒りを買って以来腹で
  這い回らなければならなくなったとされているが、それ以前のヘビは
  どのようにして前へ進んでいたか、その点についてはご存知ですか?」
B「いいえ。」
D「這うようになる前は、しっぽで立って歩いていたとでも?」
B「自分でこの聖書を読みたまえ。そうすれば分かるはずだ。」
D「結構ですとも。いまここで読んで差し上げましょう」
B「裁判官!早い話ダロウ氏はただ聖書を冒涜したいだけなのです。
  この人は神を信じておらず、テネシー州の法廷という場を借りて」
D「異議あり!」
B「聖書を汚そうとしているのです。」
D「ブライアン氏に異議あり!」

そういう意味でダロウこそが本来の神を信じる物である。

さて、安息日なのに会社に行くか。。

今日の秋葉原殺人事件

秋葉原無差別殺傷1週間 「事件後…考えなかった」

東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、静岡県裾野市派遣社員、加藤智大(ともひろ)容疑者(25)=殺人未遂の現行犯で逮捕=が警視庁万世橋署捜査本部の調べに「事件を起こした後のことは考えていなかった」と供述していることが14日、分かった。日曜の歩行者天国での凶行から1週間。加藤容疑者は「決意の上だった」と明確な殺意で犯行に及んだことを認める供述もしているという。一方、検察当局は責任能力に問題がないことを確認するため、東京地裁に鑑定留置を請求する時期について検討に入った。

そりゃ、どう考えてもPDCA回せっこないし、回せても意味ないんだから事件後のCAは考えていなくて当然だと思うが。変なところで至極まっとうなやつだ。

大企業に頼むと言うこと

犯行予告収集サイト「予告.in」公開 「0億円、2時間で作った」

ネット開発者で構成するベンチャー企業ロケットスタート矢野さとるさん(26)は6月12日、ネット上の犯行予告を集約するサイト「予告.in」を公開した。フォームから犯行予告情報を投稿してリアルタイムで共有できるほか、2ちゃんねる2ch)やブログ、はてなブックマークから犯罪予告関連の書き込みを自動収集。犯罪防止に役立ててもらう狙いだ。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0806/12/news036.html
http://slashdot.jp/it/article.pl?sid=08/06/13/1452256
ちょっと前の記事だが、実際大企業にいる自分としていうと同じぐらいでのレベルの開発者なんか掃いて捨てるほど知っている。驚くことではない。実際、自分も、とあるプロジェクトの要件定義を見る限り、要件定義をもらえれば設計・コーディングは俺一人で15営業日で十分だろうなあと思うような物がたくさんの人で半年以上ぐらいかかることになっている。しかし、そういうものだ。開発にだけ目がいっている人は、コンピュータシステムを作るという作業は、それと人間の作業から構成される「システム」が構築され、当初の目的を達している状態を維持し続けるという営みのほんの一部であるということに、あまり認識がないようだ。 納得する過程を経てものを作るとか、調整するとか維持するとかそういった作業をリスクを追わせてやらせることに大きなお金を払っているのであって、実際開発にかかる作業は一部分なのだ。